2020.7.14 安住の地を手に入れた者を訪ねて
今日は飛行機を撮ってきたお話し。
とは言っても、飛んでいる機体ではなくて、地上にいる機体を見に行きました。
こちらのYS-11。機体番号はJA8610。
勘の良い人はレジ番を聞いただけで分かるかも知れない。
かつてこの国はYS-11という国産の飛行機を作っていた。
そのYS-11という機体の量産初号機が、この「JJA8610」という機体だ。
製造から退役まで国土交通省航空局、所謂「CAB」の機体として活躍してきた。
退役後は国立科学博物館の所有物として、羽田空港の片隅に保管されていた。
僕も当時の羽田空港で見たことがある。浜松町からモノレールに乗り、左側に空港の敷地が見えてくる頃、屋外に駐機されていたこの機体を見たことがある。
そんな彼が慣れ親しんだ羽田空港を離れ…いや、厳密に言えば再開発の進む羽田空港を追い出される形で離れ、紆余曲折を経て終の棲家を手に入れたらしい。
そして幸いなことに、雨風を凌げる屋内で、そして当時と同じ形で保管されることになった。
そんな彼に会ってきたお話。
ということで前書きが長くなりました。
この日は都心から車を走らせて約5時間。高速道路を使えばもっと早く着くのですが、特に急ぐ理由もないので下道で向かいました。
保管されている施設の入口で受付を済ませて中に入ります。
このご時世なので、検温と(もしも何かあった時の為に…ということで)連絡先を記入しました。
こちらでは羽田で解体した機体を組み立てて元に戻す作業をしているそうです。
敷地と建物はこちらの施設の管理者の方から提供を受け、過去にYS-11の整備経験のある方が機体を組立て、管理は国立科学博物館が行っているとの説明がありました。
ちなみに元JALの整備士の方々だそうです。
科博の管理下にあるので、学芸員の方から直々に説明を受けることができます。
その中で興味深いと思ったのが
・航空機を元の姿に「復元」ではなく「組立て」となると法律に抵触する。
・作業に必要な工具や道具は自衛隊から借用している。
というお話がありました。おそらく航空機製造事業法に引っかかるのかも知れませんね。日本では様々な施設や場所にYS-11が保存されていますが、その多くは輸送の際に主翼を根元から切断、保存場所に移設後に再溶接という形で作業するそうです。このJA8610はあくまでも「解体→組立て」という過程の為、切断はせずに分解をして輸送、そして再び組立てという流れが故に、航空機の「製造」と法律上では解釈されるそうです。また、羽田で機体を移動するのに使ったトーバーや組み立てに使う工具類も、航空自衛隊から借用しているようです。
また、あくまでも「組立て」の為、APU自体は稼働が可能だというのも面白いなぁと思いました。
余談ですが、羽田に駐機されていた当時は駐機料を(当たり前ですが)支払っていたそうです。
その駐機料も屋外では数万円、屋内の格納庫では数百~数千万円するそうです。
維持費も年間数千万近く掛かり、事業仕分けの際に某議員に色々と言われた…と学芸員の方が嘆いていました。
我々愛好家からすれば歴史的価値がある物も、素人からすればただの鉄の塊にしか過ぎないのかも?知れませんね。でも1位じゃないとダメなんですよね。1位じゃなきゃダメですか?って仰いますけれども、妥協して不満足な結果で2位になる理由もないでしょ?っていう。はい。
ということで…
今回は組立て作業中の姿を見学しましたが、夏季のお休み(屋内での作業とは言え、空調設備が無いので真夏は作業をお休みするそう)を経て、来年には組立て作業が一通り終了するそうです。