バスマ・タイムズ

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2020.7.1 バリバリ夕張

「バリバリ夕張」と聞いて、あのCMが思い浮かぶ人はいるだろうか。

 

北海道夕張市

今でこそ「財政破綻」という衝撃的な出来事で全国に名を知られている街だが、かつてそこにテーマパークがあった。そしてもっともっと歴史を遡れば、そこにはいくつもの炭鉱があって、いくつもの鉄道が走っていて、そして12万人近い人々がそこで暮らしていた。

 

それから数十年。時代が移り変わった。人々が暮らす様式も変わり、エネルギーも石炭から石油へと変わった。いくつもの炭鉱は採掘を止め、いくつもの鉄道は廃止になり、人口が8000人にまで減ってしまった。かつての街はダム湖の底に沈み、数年前にはJRの路線も廃止になった。

 

そんな夕張の変化を街の一番奥で見守ってきた施設がある。

石炭歴史の村だ。かつてここには夕張炭鉱があった。その跡地を利用して建てられたのが「石炭歴史の村」という施設だった。だった、という表現を使ったのは、もうそこに大半の施設はないからだ。「炭鉱から観光へ」という政策の下、山の奥に建てられた遊園地を初めとする施設は、沢山の家族連れに思い出を…僕たちの中に幼き日々の思い出を残した後に解体された。

そして遊具たちがこの世を去ったあとも、夕張の歴史を、そしてこの地にかつて炭鉱があり、12万人近い人たちが暮らし、日夜人々が命がけで働いていた姿がそこにあった事を後世に伝えるために、彼は残った。紆余曲折の人生を経て…いや、彼はまだ波乱万丈の人生の途中にいるのかも知れない。そんな彼、つまり、「夕張市石炭博物館」が今回の旅の目的地だ。

 

 

東京から新千歳空港に降り立った僕は、レンタカーで夕張へと向かいました。

空港からは凡そ1時間。東京からは3時間ほどで到着です。

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石炭歴史の村 入口(歩行者用)

生した草に隠れて見えませんが、「歓迎」という文字が辛うじて見えますね。

このトンネルを潜った先が「石炭歴史の村」の敷地です。目的の博物館は丘の上にあります。

実はこの付近、去年の5月に来たことがありまして。その日は前日に札幌で予定があり、中島公園に泊まった僕は、同じようにレンタカーで夕張へと向かいました。

しかし、中に立ち入ることはできませんでした。

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駐車場入口に掲示された案内(2019.5.13)

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閉館中の文字(2019.5.13)

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入口にはバリケードが(2019.5.13)

僕が訪れる前、館内の展示施設である模擬坑道で火災があり、閉館になっていました。

 

 

 


それから約1年。

ついに園内へと入る時が来ました。浮足立つ気持ちを抑えて、車から降り、博物館へと向かいました。その途中、思わず足を止めてしまう光景がありました。

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園内にあったSLの廃線跡

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足元で歴史を刻む

園内にあった遊具や施設はそのほとんどが撤去されてしまったものの、確かに、わずかにかつての光景を伝え続ける者たちの姿が。

そんな光景を見つつ、博物館へ。

 

石炭博物館HP

https://coal-yubari.jp/

 

入場券を係の方に渡し、パンフレットを受け取ると同時に説明を受けます。

簡単に館内の説明をすると、

1階が企画展示室とホール

2階が常設展示

地下展示

模擬坑道(現在立ち入り禁止)

という展示になっています。

 

と、説明したものの、当日は展示物を見るのに夢中でほとんど写真を撮っていませんでした…

僕が訪れた日は1階で夕張支線の展示を行っていて、駅名表やヘッドマークの展示がありました。

階段で2階へ。

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炭都の歴史に触れる というテーマの2階展示

2階では夕張の歴史のみならず、なぜ夕張が炭鉱で栄えたのか、また道内の炭鉱についての説明もあり興味深いものがありました。また、かつて市内を走っていた私鉄に関する展示もありました。

 

夕張の一帯で石炭が見つかるまでの流れや、発見されてから広大な炭鉱として開発され、そして閉山と…

一連の流れが分かりやすく展示されていました。

炭鉱というのはその性質上、人々の暮らしがすぐ側にあり、その人々の暮らしについても分かりやすく展示されていました。

 

 

 

エレベーターで地下へ。

このエレベーターがかなり面白かったのですが、まあそれは訪れてみてのお楽しみということで…

地下にはマネキンを使った展示があり、目で見て理解できる様な展示でした。

1人でマネキンと向かい合って見学しましたが、迫力がありました。色々と。

石炭の採掘方法も時代と共に進歩していたようで、晩年は機械化が進んでいたそうです。炭鉱という性質上、空気の力で動かす装置が多かったそうです。

機械と言えば、後半の展示にドラムカッターの実演運転の展示がありました。

ドラムカッター。

掘った石炭を自動で坑道の外へ搬出する装置です。かなりの轟音ですが、坑道という閉鎖空間にこの音が響くと考えただけで、機械化されたとしてもかなり過酷な環境だったと想像できますね。

こちらは基本的に30分~60分おきに稼働展示をしているそうです。

終わったあとに係の方から解説もあります。

 

この日は見学者が僕しかおらず、係員の方とお話しすることができました。

その方は大学でその道を専門に研究されている方だそうで、空知は夕張だけではなく、各地に炭鉱跡やその付随施設があり、勉強になりますよ。と。ざっくりですがそういうお話を頂きました。また、釧路にある炭鉱に関してのお話しも聞くことができ、勉強になりました。

博物館というのは展示物を見るのはもちろんですが、施設の方とお話しをするとより深い知識を得ることができると痛感しました。

 

 

ということでゆっくり見学して2時間ほどでした。

リニューアルしてから運営主体がNPO法人に変わったようで、そのNPO法人の方々が各地の炭鉱との接点等々をクローズアップして紹介しているようです。

夕張だけではなく、道内の炭鉱についても知ることができますし、日程にゆとりがあるのならば、他の炭鉱も合わせて見学すると、より知識が深まると思います。