2020.9.10 室蘭本線へ
今回もまた北海道へ…
とは言うものの、特に目当てのネタもなく、それならあまり行ったことのない道南方面へ…
ということで空港から車を走らせました。
時間の関係上、片道は道央道を使いました。
久しぶりに道央道を使ったのですが、風景が本州とさして変わりなく、あまり面白くありませんでした。🚓をあまり気にすることなく走れるので気は楽ですが…
俯瞰気味に撮影。
鉄路がある限り、列車は走り続けます…
久しぶりに雨男の本領発揮と言った感じでしょうか。
晴れていれば遠くに豊浦町の街並みが見えて、海ももっと青色のはず?なのですが、かなり視界が悪い感じでございます。
まあ天気ばかりは自分ではどうしようもないので、仕方がありません。
長万部行きの普通列車。
豊浦以南は4~5時間に1本の割合でやってくる普通列車。この日はキハ150がやってきました。
こちらは札幌方面行きの列車。
スーパー北斗改め、北斗号。
個人的にはまだスーパーが外れた名称が馴染んでいないのですが、そのうち慣れるのかもしれません…
2020.8.31 またまたミルクの大地へ
ということで、また北海道に行ってきたのでその記録。
ロイヤルエクスプレスの本運転が始まったようで、行ってきました。
特にロケハン等々も事前にしていなかったので、レンタカーで空港から沿線に向かいつつ、ドライブがてらロケハンをする感じでした。
遠目に見て「お…いい感じ?」と思って近づいても、時期が時期なので雑草が生い茂っていたりと、夏場はそんなものです。
926Dは旭川方に山明号が連結されていました。
事前に調べていたわけでもなく、たまたま来た感じでございます…
H100も導入が続けられているようなので、40も記録に残し始めなければなりませんね。
今は亡き711系の跡を継いで岩見沢以北でも活躍する721系。
札幌近郊区間でも見ることができますが、自然豊かな空知を走る彼はどこか頼もしく見えました。
シルバーの車体を纏って道央と道北を結ぶカムイ。
「スーパー」が抜けてからはどこか物足りない気がしますが、かつての急行列車を彷彿とさせるその渋さは悪くはないと思います。
本題のロイヤルエクスプレス。
ついに本番が始まりました。やはり機関車の黄色に対して後ろが暗めの色なので、処理に悩みますね…
本運転が始まったとは言え、平日かつ岩見沢以北ということもあり、地元の住民の方数人と、僕一人で見送りました。
やはり市民?の皆さんからの注目度は高いようで、この日も地元のおじさまに話しかけられまして、歓談をしつつの待ち時間でした。
その方はテレビを見て情報を知り、沿線に住んでいるので見に行こうか…と足を運んだそうです。近年、テレビの存在意義について議論がなされていますが、やはり影響力は大きいですね。親子連れの方もいらしていたのですが、その方は前回の試運転を目撃して、この時間帯に来るのかな?と予測していらしてたようです。
そういった意味では、事前の試運転もある種の宣伝になっていたりするのかも知れません。特に今回のような事例では…
ロイヤルエクスプレス通過後はもう少しだけ粘り、この後の貨物を待つことにしました。
最近は中京地区にも進出しているDF200ですが、やはり彼には北海道が似合う気がします。
2020.8.5 また来たよ ミルクの大地へ
梅雨も明けて本格的に始まった今年の夏…
ロイヤルエクスプレスというのが北海道で走るそうです。
早い話が関東から車両を持っていって、北海道で走らす。そんな感じです。
先月辺りに北海道への甲種輸送が行われたそうですが、仕事のため都合が合わず撮りにも行けませんでした。
本運転も予定が合わなそうだったので諦めていたのですが、試運転をやっているらしく
本運転はダメでも試運転なら行ける…
ということで行ってきました。
とりあえずは仕事の絡みで日帰りせざるを得ない状況だったので、朝早い便で札幌市内へ。
どうやら市民の皆さん間でも話題になっているらしく、「なにか珍しい物でも来るのか?」ということを聞かれることはなく、「あのロイヤルなんちゃらですか?」だとか、「寝台特急みたいなやつですか?」と聞かれることが多かったですね。
直前にいらした親子連れのお父さんは「良いものが見れた」と満足そうでした。
ネタがネタだけに混むかな?と思ったものの、1時間前になっていらした旭川から追いかけをしてらした方と、その他数名程度でした。平日なのでこんなものなのかも知れません。
何番煎じか分からないこのど定番の構図で…
2020.8.3 紀伊半島へ行ったお話
朝イチの飛行機でHNDからITMに移動。
ITMのアプローチは大阪市内が見えて好きなので、珍しく窓側を押さえて外を見ていました。
八尾空港?と思われる滑走路が見えました。
定刻にITMに到着。バスで新大阪へ。
バス乗場から見えた大阪モノレール。京急の広告ラッピングでした。
渋滞もなく、新大阪には11時前に到着。
そこから12時過ぎのくろしお11号で南下。
個人的には乗り潰しが目的だったので車両は特に気にしていませんでしたが、アドベンチャーワールドと手を組んでパンダと動物達のラッピングがされている編成が来ました。
どうやら事前に運用が公開されているようで、沢山の家族連れがカメラを向けていました。
車内もパンダで統一されていました。これまた家族連れに大人気。
夏空の阪和線を南下しつつ、和歌山から紀勢本線に入ります。
土地の白浜で大半の乗客が降りました。
アドベンチャーワールドでしょうか。
残り少ない乗客と共に列車さらに南へ。
途中の区間では眺めが良いポイントで徐行運転もありました。4時間近く乗り続けるとどうしても単調な景色が続いて飽きっぽくなってしまいがちなので、こういう刺激はありがたいです。
新大阪から凡そ4時間。紀伊勝浦に到着です。
列車は終点の新宮を目指して走り続けますが、僕はこちらで下車。
1時間の南紀に乗ります。
2020.7.14 安住の地を手に入れた者を訪ねて
今日は飛行機を撮ってきたお話し。
とは言っても、飛んでいる機体ではなくて、地上にいる機体を見に行きました。
こちらのYS-11。機体番号はJA8610。
勘の良い人はレジ番を聞いただけで分かるかも知れない。
かつてこの国はYS-11という国産の飛行機を作っていた。
そのYS-11という機体の量産初号機が、この「JJA8610」という機体だ。
製造から退役まで国土交通省航空局、所謂「CAB」の機体として活躍してきた。
退役後は国立科学博物館の所有物として、羽田空港の片隅に保管されていた。
僕も当時の羽田空港で見たことがある。浜松町からモノレールに乗り、左側に空港の敷地が見えてくる頃、屋外に駐機されていたこの機体を見たことがある。
そんな彼が慣れ親しんだ羽田空港を離れ…いや、厳密に言えば再開発の進む羽田空港を追い出される形で離れ、紆余曲折を経て終の棲家を手に入れたらしい。
そして幸いなことに、雨風を凌げる屋内で、そして当時と同じ形で保管されることになった。
そんな彼に会ってきたお話。
ということで前書きが長くなりました。
この日は都心から車を走らせて約5時間。高速道路を使えばもっと早く着くのですが、特に急ぐ理由もないので下道で向かいました。
保管されている施設の入口で受付を済ませて中に入ります。
このご時世なので、検温と(もしも何かあった時の為に…ということで)連絡先を記入しました。
こちらでは羽田で解体した機体を組み立てて元に戻す作業をしているそうです。
敷地と建物はこちらの施設の管理者の方から提供を受け、過去にYS-11の整備経験のある方が機体を組立て、管理は国立科学博物館が行っているとの説明がありました。
ちなみに元JALの整備士の方々だそうです。
科博の管理下にあるので、学芸員の方から直々に説明を受けることができます。
その中で興味深いと思ったのが
・航空機を元の姿に「復元」ではなく「組立て」となると法律に抵触する。
・作業に必要な工具や道具は自衛隊から借用している。
というお話がありました。おそらく航空機製造事業法に引っかかるのかも知れませんね。日本では様々な施設や場所にYS-11が保存されていますが、その多くは輸送の際に主翼を根元から切断、保存場所に移設後に再溶接という形で作業するそうです。このJA8610はあくまでも「解体→組立て」という過程の為、切断はせずに分解をして輸送、そして再び組立てという流れが故に、航空機の「製造」と法律上では解釈されるそうです。また、羽田で機体を移動するのに使ったトーバーや組み立てに使う工具類も、航空自衛隊から借用しているようです。
また、あくまでも「組立て」の為、APU自体は稼働が可能だというのも面白いなぁと思いました。
余談ですが、羽田に駐機されていた当時は駐機料を(当たり前ですが)支払っていたそうです。
その駐機料も屋外では数万円、屋内の格納庫では数百~数千万円するそうです。
維持費も年間数千万近く掛かり、事業仕分けの際に某議員に色々と言われた…と学芸員の方が嘆いていました。
我々愛好家からすれば歴史的価値がある物も、素人からすればただの鉄の塊にしか過ぎないのかも?知れませんね。でも1位じゃないとダメなんですよね。1位じゃなきゃダメですか?って仰いますけれども、妥協して不満足な結果で2位になる理由もないでしょ?っていう。はい。
ということで…
今回は組立て作業中の姿を見学しましたが、夏季のお休み(屋内での作業とは言え、空調設備が無いので真夏は作業をお休みするそう)を経て、来年には組立て作業が一通り終了するそうです。
2020.7.1 バリバリ夕張
「バリバリ夕張」と聞いて、あのCMが思い浮かぶ人はいるだろうか。
北海道夕張市。
今でこそ「財政破綻」という衝撃的な出来事で全国に名を知られている街だが、かつてそこにテーマパークがあった。そしてもっともっと歴史を遡れば、そこにはいくつもの炭鉱があって、いくつもの鉄道が走っていて、そして12万人近い人々がそこで暮らしていた。
それから数十年。時代が移り変わった。人々が暮らす様式も変わり、エネルギーも石炭から石油へと変わった。いくつもの炭鉱は採掘を止め、いくつもの鉄道は廃止になり、人口が8000人にまで減ってしまった。かつての街はダム湖の底に沈み、数年前にはJRの路線も廃止になった。
そんな夕張の変化を街の一番奥で見守ってきた施設がある。
石炭歴史の村だ。かつてここには夕張炭鉱があった。その跡地を利用して建てられたのが「石炭歴史の村」という施設だった。だった、という表現を使ったのは、もうそこに大半の施設はないからだ。「炭鉱から観光へ」という政策の下、山の奥に建てられた遊園地を初めとする施設は、沢山の家族連れに思い出を…僕たちの中に幼き日々の思い出を残した後に解体された。
そして遊具たちがこの世を去ったあとも、夕張の歴史を、そしてこの地にかつて炭鉱があり、12万人近い人たちが暮らし、日夜人々が命がけで働いていた姿がそこにあった事を後世に伝えるために、彼は残った。紆余曲折の人生を経て…いや、彼はまだ波乱万丈の人生の途中にいるのかも知れない。そんな彼、つまり、「夕張市石炭博物館」が今回の旅の目的地だ。
東京から新千歳空港に降り立った僕は、レンタカーで夕張へと向かいました。
空港からは凡そ1時間。東京からは3時間ほどで到着です。
生した草に隠れて見えませんが、「歓迎」という文字が辛うじて見えますね。
このトンネルを潜った先が「石炭歴史の村」の敷地です。目的の博物館は丘の上にあります。
実はこの付近、去年の5月に来たことがありまして。その日は前日に札幌で予定があり、中島公園に泊まった僕は、同じようにレンタカーで夕張へと向かいました。
しかし、中に立ち入ることはできませんでした。
僕が訪れる前、館内の展示施設である模擬坑道で火災があり、閉館になっていました。
それから約1年。
ついに園内へと入る時が来ました。浮足立つ気持ちを抑えて、車から降り、博物館へと向かいました。その途中、思わず足を止めてしまう光景がありました。
園内にあった遊具や施設はそのほとんどが撤去されてしまったものの、確かに、わずかにかつての光景を伝え続ける者たちの姿が。
そんな光景を見つつ、博物館へ。
石炭博物館HP
入場券を係の方に渡し、パンフレットを受け取ると同時に説明を受けます。
簡単に館内の説明をすると、
1階が企画展示室とホール
2階が常設展示
地下展示
模擬坑道(現在立ち入り禁止)
という展示になっています。
と、説明したものの、当日は展示物を見るのに夢中でほとんど写真を撮っていませんでした…
僕が訪れた日は1階で夕張支線の展示を行っていて、駅名表やヘッドマークの展示がありました。
階段で2階へ。
2階では夕張の歴史のみならず、なぜ夕張が炭鉱で栄えたのか、また道内の炭鉱についての説明もあり興味深いものがありました。また、かつて市内を走っていた私鉄に関する展示もありました。
夕張の一帯で石炭が見つかるまでの流れや、発見されてから広大な炭鉱として開発され、そして閉山と…
一連の流れが分かりやすく展示されていました。
炭鉱というのはその性質上、人々の暮らしがすぐ側にあり、その人々の暮らしについても分かりやすく展示されていました。
エレベーターで地下へ。
このエレベーターがかなり面白かったのですが、まあそれは訪れてみてのお楽しみということで…
地下にはマネキンを使った展示があり、目で見て理解できる様な展示でした。
1人でマネキンと向かい合って見学しましたが、迫力がありました。色々と。
石炭の採掘方法も時代と共に進歩していたようで、晩年は機械化が進んでいたそうです。炭鉱という性質上、空気の力で動かす装置が多かったそうです。
機械と言えば、後半の展示にドラムカッターの実演運転の展示がありました。
— だ っ ち (@JA01HD) 2020年7月1日
ドラムカッター。
掘った石炭を自動で坑道の外へ搬出する装置です。かなりの轟音ですが、坑道という閉鎖空間にこの音が響くと考えただけで、機械化されたとしてもかなり過酷な環境だったと想像できますね。
こちらは基本的に30分~60分おきに稼働展示をしているそうです。
終わったあとに係の方から解説もあります。
この日は見学者が僕しかおらず、係員の方とお話しすることができました。
その方は大学でその道を専門に研究されている方だそうで、空知は夕張だけではなく、各地に炭鉱跡やその付随施設があり、勉強になりますよ。と。ざっくりですがそういうお話を頂きました。また、釧路にある炭鉱に関してのお話しも聞くことができ、勉強になりました。
博物館というのは展示物を見るのはもちろんですが、施設の方とお話しをするとより深い知識を得ることができると痛感しました。
ということでゆっくり見学して2時間ほどでした。
リニューアルしてから運営主体がNPO法人に変わったようで、そのNPO法人の方々が各地の炭鉱との接点等々をクローズアップして紹介しているようです。
夕張だけではなく、道内の炭鉱についても知ることができますし、日程にゆとりがあるのならば、他の炭鉱も合わせて見学すると、より知識が深まると思います。
2020.6.22~25 五能線へ
残り少ないキハ40ですが、北東北ではまだまだ現役。
そんなキハ40シリーズを記録しに、秋田と青森へ。
昼過ぎに東京を出て、那須塩原辺りまでは下道、そこから夜通し東北道と秋田道を走り、途中の西仙北SAで仮眠を取りました。
オタクの朝は早い pic.twitter.com/t1U2Geb6xk
— だ っ ち (@JA01HD) 2020年6月22日
夜明け。午前4時半。2時間ほど寝ていました。
再び車を走らせ、昭和男鹿半島ICで一般道へ。近くの撮影ポイントに向かいました。
夜通し車を走らせ、眠気眼を擦って待った結果がこちら。
雲一つない快晴。アドレナリンが止まりませんでした。
当日は男鹿線のダイヤの乱れており、6時~8時台の数本が遅れていました。
5連の1122Dも遅れており、1122Dの時間にやってきたのは2連の列車。
「あれ?」と思ったものの、「まさかの減車…」と嫌な予感がしつつ、とりあえずは待つことにしました。
その数十分後、5連の列車がやってきました。どうやら1122Dの時刻にやってきた列車は、1本前の1120Dだったようです。
この後は北上をして、五能線沿線へ。
足掛け3日間で沿線を走り撮りましたが、かなり満足度の高い3日間でした。
帰りは日本海沿いに新潟まで南下、湯沢から関越道に乗り、帰りました。